クローズアップ WORLD

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クローズUP WORLD

Vol.3
夢を求めてバンコクに出てきた少女 ニックネーム:Jeed(Ms. Suleeporn B)の場合

家族のために


 タイの田舎の貧しい家庭で生まれた少女は、「家族のためにも安定した収入と生活を得たい」、そのためには国立病院の職に就こうと考えて漠然と大学に通っていました。

 タイの多くの若者と同様「家族を助けるために公務員になろう」と。でも悩みます。本当はもっと勉強がしたい、自分をスキルアップさせたい、お金はないけど大学院に進みたい。悩みに悩みましたが、やはり勉強したいという思いは捨てられず、大学院に進もう、そう決めて私は故郷で努力していました。

ワールド工業との出会い


 そんな日々の中、少しでも学費を稼ぐためにアルバイトをしよう、そう思いタイ・ワールドの求人に応募したのが「転機」となります。ワールド工業の人材募集になぜか惹かれたのです。そして面接のために田舎から400㎞離れたバンコクまで胸をワクワクさせ向かいました。ワールド工業は、そのとき小さな会社から中堅企業へ脱皮しようとしていて、QCの分かる担当者を探していたのです。私は自分の勉強してきたこと、考え方、夢を懸命に話し伝えました。じっと聞いていた社長から「一緒に働きましょう」と言われ、これも運命と思った私は、「勉強の夢をひとまず置いてここで頑張ろう」と決意します。

 そして今、私はワールド工業の一員であることに大きな喜びと誇りを感じて仕事をしています。ワールド工業で働きながら、大学院も卒業させてもらいました。それは面接のときの出会い、その時に感じたこと、信じた自分の勘が合っていたことを証明しています。

成長はワールド工業と共に

 ワールドに入社してからはあっという間の日々でした。もちろん成功ばかりではありません。上司とぶつかり涙したこともありました。そして部下を管理することの難しさ、いろいろな壁が現れます。何から何まで初めての経験でした。それらは、QCに留まらず、原料調達から生産管理までありとあらゆる仕事をしてきた私をこれでもかと鍛えてくれました。ISO9001も私が中心になり取得、今は会社の大きな看板、誇りになっています。

アジアで一番の夢を達成したい


 根本的に私は「物を造ることが好き」だったのです。お客様の笑顔を頭に浮かべ物を造ることは喜びそのものです。
私の仕事が増えるにつれ、私の仕事の幅も広がりました。生産計画を作成し管理、そして会社全体を見るセクションマネージャーとして「社長室」勤務。現在は経営を見るゼネラルマネージャー職になり重要な判断もしています。人材を育てることも私の重要な責務です。
私はワールドで成長しました。そして「すべての問題は原因さえ分かれば解決できないことはない。物事の本質を見ることができれば必ず問題は解決できる」と経験を通し学びました。 今、ワールド工業はアジアの中で一番の「高速シートシャッター企業」になろうという大きな夢を持っています。組織も大きくなり、日本のワールド工業との連携も増えてきて私はますます忙しくなってきました。
まだまだ私は夢の途中。アジアで一番のシートシャッターメーカーに、そして働きがい、待遇もアジアで一番になれたら素晴らしいと思っています。 皆さんもこの夢にご一緒しませんか。






Vol.2
蔵元の場合[開発営業部(28歳)]

ものづくりが好きな子


 蔵元は小さいころから古いビデオを分解しては組み上げたり、ものの構造を確認したりするのが大好きな子供だった。長じてもDIYと称して家の棚を作ったり、バイクを修理したり「ものづくり」が今も大好きである。

 鹿児島の高校を卒業し、縁がありワールド工業に入社。就職するときに不安そうに見送った両親にも、社内で知り合った女性と結婚し安心させることができた。自身のスキルアップのため、「フォークリフト」「アーク溶接」「電気工事士」の免許も取りシートシャッターの製造も任されるまで成長した。でも決して順風満帆だったわけでもない。仕事に満足できず辞表を出したこともある。慣れないフォークリフトに乗って、商品を丸ごとひっくり返したこともある。タイに旅行した時は現地食でお腹を壊し、ほとんど観光ができなかった。冷静なようでなぜか少しだけ抜けている愛される男である。

時代は再び製造業に焦点を当ててきた


 時代はIoTを標榜し、会社のシステムや組織もどんどん変化して来ている。ワールド工業は、小さいながらも自社で特許を取得し、製品を開発、販売してきた会社だ。その中で「時代を先取りしたものを作り上げたい、世の中にないものを出していきたい」小さなころから持っている「ものづくり大好き虫」が騒ぎ出した。そんな会社の中で成長する蔵元の姿を見ながら、社長の野積は期待して声をかける、「お前たちが次代を担うのだぞ」と。

 今年、蔵元は製造部から開発営業部に移り、新商品を開発するという命題を受け取り組んでいる。自分専用のCADマシンも用意され、会社からの期待が大きいのを感じて働いている。

ぼっけもんになる


 鹿児島弁に「ぼっけもん」という言葉がある。近頃は、融通が利かない乱暴者みたいな意味でも使われるが本来「自分の生きる道に誇りと信念を持ち、考え方や立場の違うものも受け入れる器の大きな人」という意味だ。

 「あいつはぼっけもんだ」埼玉では誰もそんな風に言ってくれないが、密かにそう呼ばれるような人になりたい、蔵元はそう思っている。






Vol.1
清水 亮浩の場合[ 営業(28歳)]

このままでいいのだろうか


 このまま人材紹介会社にいて年を重ねていいのだろ うか。30 歳を前に清水はそう思った。
大学卒業後、金庫メーカーの事務としてのキャリアを経て、人材紹介会社の営業として忙しい日を送っていた。 埼玉県を中心に、営業として大企業から中小企業まで飛び込みもいとわず派遣先を開拓してきた。実績を作り 自信もついたが、「このまま年を重ねてキャリアが積めるのだろうか」「せっかく外国語学部を出たのにまった く英語を使うこともないしな」。現状に満足しきれず悶々としている自分がいた。「自分のやりたいことをやってみたら?」。臨床検査技師をしている妻からこう言われたのも転職の後押しになった。

ワールド工業との縁

 ワールド工業はいままでに何人もスタッフを紹介している取引先だった。紹介したスタッフへの親切な対応や、誇りを持ちモノづくりに勤しむ社員の姿を目の当たりにしていた清水は「こんな会社で働けたらいいな」と密かに思っていた。そんな清水の仕事ぶりを見ていたワールド工業の常務は、明るく人懐こい性格の清水に興味を持っていた。「清水君、ワールドの仕事は面白いよ。興味があるならウチに来て営業やってみないか」。これがワールド工業で働く縁となった。

今までの営業手法が通じない


 清水は、今、ワールド工業の主力事業「高速シート シャッター」の営業として働いている。最初の2か月は研修。製造現場で実際にものを作り、現場の課長に怒られながら仕事を必死で覚えた。現場経験を積んで営業に出たので、シートシャッターについては一通り「分かっている」つもりだった。しかし、現実は甘くなかった。今までの営業スタイルが全く通じない。アポがないとお客様の担当者にも取り次いでもらえない。それにもましてやお客様の要望を確実に捉えられない。
 悩んだ清水は、一から営業手法の見直しを会社の先輩諸氏にお願いした。電話の掛け方、声のトーン、名刺の渡し方、挨拶の仕方、プレゼンテーションの方法、間の取り方、立ち居振る舞いに至るまで悪い点を指摘され直された。
ロールプレイングも回を重ねてやっと自分のスタイルができつつあるかなと思ってきた頃、初めて「受注」できた。最初は挨拶も返してくれなかったある企業の工務主任から、「真面目な清水君から買うことにしたよ。ワールドの製品良さそうだし」と言葉ももらった。新緑が気持ちいい季節から、抜けるような青空がまぶしくセミの鳴き声がうるさい季節に変わっていた。帰社して営業部の皆から、拍手で迎えられ「おめでとう」の言葉をもらったうれしさは忘れられない。これでワールド工業の一員としてやって行けると思えた瞬間だった。そんなある日、いつも注意ばかりされている上司から飲みに誘われた。またお小言かなと少し構えていると「俺はお前に任すからな。頼んだぞ」加えて「いいか、プロとはな、お金を払ってでもその仕事をやってもらいたい人のことを言うんだ。お前にならできる」

ワールドに活躍する夢


 いま、清水は忙しさの中でこんな夢を持っている。 「ワールド工業なのだから、文字通りワールドワイドで売ってやる」。社長からも「シートシャッターでアジア一、世界一になるぞ」と言われて期待されている。
 まだ大きな成果を出した訳でもないし、自信も少し芽生えた程度だが、清水は「ワールド工業に転職してよかった、また明日も頑張ろう」と思える自分に少し満足している。

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